「五年目の命日」
「運命の人なんかきっといないの」
母はパスタを器用にフォークに絡ませる。私はそれが羨ましくて真似してみるのだけれど、うまくいかない。
「極端なことを言えば、みんな誰とだって付き合える。人を好きになるのは赤い糸とか運命があるからじゃない。小さなきっかけとか、はずみみたいなもので、私たちは恋をするのよ」
「じゃあ、他の人と一緒になる可能性もあった?」
私はうまく巻けないパスタをすすりながら訪ねた。
「そうね。一緒に居れるんじゃないかな、と思う人はほかにもいたし、その人たちを好きになっていた可能性だってなくはないと思う。むしろそういう人たちの方が魅力的だったかも」
「それでも、父さんだったんだ?」
「小さいけれど、たくさんのきっかけをあの人はくれたから」母はしみじみとそう言って、ほほ笑む。「てんで不器用な人だったけれど、そういうところがとても可愛かったしね」
母は父のことを思い出すとき、本当に幸せな過去を覗くような、寂しさと懐かしさと暖かさを含むように笑う。私はそんな彼女の表情が好きだった。
「付き合って何度も喧嘩をしたし、結婚してからだって、あなたが生まれてからだって、この人じゃない人生があったんだろうなあと思うときがあった。やっぱりそういうのって人間だから仕方ないことなのよ」
その言葉は私の周りに溢れている、運命の出会いであるとか純粋な両想いであるとかを謳う物語なんかよりずっと人間的で、現実的だった。胡散臭い、陳腐なセリフよりもずっと信頼に値する言葉だった。
「でも、大事なことはやっぱり後悔しないことなの。だから私は、あの人でよかったと思ってる。運命の人っていえるほど魅力的じゃなくても、あの人はたくさんのものを私にくれたもの」
「うん」
「だからね、あなたも甘い言葉で運命を感じさせるような男に騙されちゃだめよ」
きれいにパスタを食べきって、彼女はそう言った。
私は頷きながら、彼女のフォークの回し方を真似てみるのだけれどやはり上手くいかない。
ふとリビングの片隅を見る。まだ幼い私を抱く父と、隣で笑う母の写る写真がある。あの日からもう十年が過ぎてたくさんのことが起きたし、たくさんのものを失ったけれど、母は変わらず真っ直ぐに笑っている。
流しに立ち、洗い物を始めた背中をぼんやりと眺めた。今の私は小さな後悔ばかりで、彼女の強さには遠く及ばない。
けれど、いつか私も。
「母さん」
「ん?」
彼女は振り向いて、私は微笑む。
「私も、母さんみたいになるよ」
彼女のように誰かと共に歩み、たとえその手を失っても、後悔せず笑う。そんな彼女みたいになろうと思う。
母は少し目を丸くして、それから写真と同じ表情で笑った。
「まずはパスタをうまく巻けるようにならないと、ね」
私はパスタをすすりながら、苦笑した。
09/12/21 もこ
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