「自分」
「あなたは優しくて、多分正しいと思う」
私のたどたどしい言葉を彼はいつものようにしっかりと受け止めてくれている。私は一つ一つ確認するように、考え、話す。
「だってこの社会は、誰かと生きていかないといけない。誰かに支えられないといけない。だからあなたは正しい」
うん、と彼はゆっくりと頷いた。もしかしたら、あきれながら聞いているのかもしれないけれど、私は戸惑わない。今、きちんと全てを言葉にしなくちゃ、意味がないのだ。
「だからあなたの言うことが、私にとって必要なことなのは分かる。嫌われるのは怖いし、拒まれるのは嫌だ。多分私は他の誰よりそういうことを怖がっていると思う」
今こうやって彼と向き合っているだけで、震えそうになる体が何よりの証拠だ。私は誰にも嫌われたくない。
「でも私にはあなたの言う通りにはできないみたい。私は馬鹿で、不器用だから、納得できないんだ」ぎゅっとてを握ると、長い爪が痛かった。「私はあなたのようには、できないの。私なりに考えて行動して、結局私はあなたの優しさに甘えるばっかりだった」
彼は目を逸らさなかった。逃げだしたい気持ちを私は一心に抑える。
「誰にでも合う生き方なんて、きっとない。だから、私はもう一度一人になってみる。あなたに頼ったり甘えたりしないで、自分の足で立ち、目で見て考え、声を聞き、そうやって本当に私が居てもいい場所を、自分の居場所を見つけるの」
私は一つだけ、息を吸った。
「あなたと居た時間、私は生まれて初めて孤独を感じなかった。あなたに会えてよかった」
ぎこちなく微笑み、言う。上手く笑顔になれない私が憎い。
「一年間、ありがとう。私は行きます」
私は立ち上がり、荷物を詰めたキャリーバッグを持つ。最低限の衣服や小物しか詰めていないにも関わらず、何故かとても重く感じた。しっかりとキッチンと洗面所の横を通り抜け、玄関に立つ。お気に入りのスニーカーを履き、ドアを開け、一歩踏み出す。春の生温い風が私の首筋を撫でた。
一度だけ振り向く。
未練を残さないように、彼に引き留めて欲しいと思わないように、何を言えばいいか迷っている彼に手を振って、私は扉を閉めた。
がちゃん、と呆気ない音がして、私の涙が溢れそうになった。
「さよなら」
呟いた声は、きっと私にしか届かない。それは多分決意だ。
もう彼の手も声も、頼ったりしない。私は自分の居場所を求めて、歩き出さなければいけなかった。
彼の暖かい腕の中は心地よくて、そのまま私は腐っていきそうだったから。それはきっと死んでいるのと同じだ。
私は生きている。
一人で生きているなんて思わない。親や、数少ない友人や、彼だけじゃない。誰かが頑張っているから、私は今生きている。だから私も頑張らないと。
一歩一歩自分の足で踏み締める地面は、硬くて冷たくて、けれどきちんと私を受け入れてくれているから大丈夫。
私は生きていく。
誰でもない、自分の為に、自分の両足で。
10/01/05 もこ
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