「卒業式に猫は笑う」
「お前のこと、さ。好きだったよ」
彼の言い方は過去形で、その恋は私に届く前に終わってしまったらしかった。馬鹿みたいな晴天の空が無駄に眩しくて、私はぼんやりと彼が微笑みながら教室を去っていくのを見ているしかなかった。
「今までありがと」教室の扉の前で、私を見ずに彼は言った。「大学でも、頑張れよ」
早足で彼は教室を出て、廊下を走っていく。
私は一人教室に取り残される。こういうとき私はどうしたらいいのか分からなくなる。だって過去の想いどうこうを伝えられても、私は何もできないし。何も望んでいないならそんなこと言って欲しくなんかないのだ。
「取り残されると、どうしたらいいかわかんないじゃない」
一人ぼやいて教室の窓の外を見る。一時間程前は教師と生徒、保護者達で溢れていた広場も今はぽつぽつとしか人が居ない。多くの生徒がクラス打ち上げをしたり、そのまま帰宅する中で、私は一人校舎に残っている。
溜息を吐く。
「ばかみたい」
「なにが?」
不意に声がして振り向くと、黒髪に黒くて長いマフラー、黒のカーディガンという真っ黒ずくしの友人が立っていた。大きく光る瞳としなやかな体付きは初めて出会ったときと同じように美しくて、私は少し嫉妬する。
「希望のない告白されて、戸惑ってる自分が」
「ふうん?」
彼女はいつものように口元をくいっと上げて、にやりと笑む。
「大体、わざわざ卒業式にそういうことすんなよなあ」
「相手の気持ちも汲んであげなさいよ」
「生憎そんなにロマンチストでもないから」
「かわいそ」彼女はふふふと笑って私の横を通り過ぎ、黒板の前に立つ。「私は偉いと思うわその子のこと。誰だか知らないけれど、相手に気持ちをちゃんと伝えたことは十分価値のあることよ。片思いのまま、後悔して終わる誰かさんよりね?」
ふん、と私がそっぽを向くと、彼女はまたふふふと笑った。
「あなたの可愛いところはそういうところなのだけど」
余計のお世話だと、私はぼやく。
「ま、今日で私との高校生活も最後なんだからつんつんしなさんなよ」
「どうせ、近いうちにご飯とか行くんだから、高校生活最後も何もないでしょ」
この三年間散々店のひやかしに出歩き、お互いに地元の大学を決めている仲が、むしろどう疎遠になるのか私は聞きたい。
すると彼女はいつものように、ふふふと笑った。
「もう、今日であなたとはお別れなのよ」
「え?」
いつもの適当な冗談を言うときのような気軽さで、彼女は言った。
「ま、ホントは初めの一年だけのつもりだったんだけど。あなたがあんまり心配させるから、ちょっとだらだらしちゃったのよね」
ぺらぺらと喋る彼女はいつも通りで、でも私はいまいちその言葉を理解できなかった。
「ちょっと、待って。何言ってんの? 面白くないよその冗談」
私がそう言うと、彼女はこの三年間で初めて悲しそうな、困ったような顔で笑った。
「これはホント。いつもの冗談じゃなくね? 私は大学にもどこにも行かない。私とあなたは今日でお別れ」
彼女の大きな目は真っ直ぐに私を見ていた。
「ま、何はともあれ、楽しかったわ。ありがとう」黒板の前から、教室を名残惜しく思うように眺めて彼女は言う。「あんまりだらだらもできないから、そろそろさよならしなきゃ」
私は彼女の言うことが上手く飲み込めず、ただ黙っていた。
「じゃあね、これからは後悔のないように生きなさい」
優しく諭すように言って、彼女はふふふと笑った。
ちりん、と音が鳴って強い風が吹く。目を閉じて、開くと彼女の姿が消えていた。
代わりに教卓の上には一匹の黒猫が座っていた。黒猫はくるりと教室を見まわし、それから私の方を見て、にゃあと笑った。
「私に、どうしろってのよ」
一人呟いても返事はない。黒猫は教卓を飛び降り教室から出ていく。
取り残された私は、ただぼんやりと立ちつくしていた。
10/01/02 もこ
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