「自分のこと」
「何も浮かばない」
こつこつと鉛筆の先で原稿用紙の升目を叩く。
「名前しか埋まらない」
何も浮かばないのが腹立たしくて、馬鹿みたいに丁寧に書いた自分の名前が、これまた腹立たしい。
教室の外はもう随分暗くて、けれどこの作文を書き終えないと僕はここから出られない。
「何も浮かばない」
この一時間で何十回目かの呟きにいい加減飽きてきたのか、教卓でクラスメイトの作文を眺めていた担任はむっと僕を見る。
「お前、それ言ってる暇あったら、何でもいいから適当に書けよ」
適当と言われても、と僕は肩をすくめる。というか国語教師が適当に書けなんて言うもんじゃないだろうに。
「自分のこと書けって言われても、難しいっすよ」
「真面目だなあお前」
「生徒に向かって、真面目が物珍しいみたいな言い方しないで下さいよ」
「今時の高校生っぽくはないだろ」
けたけたと笑う彼も随分教師っぽくはない。口には出さないけれど。
「真面目に取り組んで何も浮かばない奴は、大体適当にしか書かねえしな」
まあその通りだとは僕も思う。ただ、いまいちそうして適当に流すことには違和感を感じずには居られないのだ。
「なんか悔しいじゃないですか、適当って。せっかく書くならきちんと考えてやりたいわけですよ」
「まあ教師としては応援したくなる意見だけどなあ」
彼は苦笑しながら、言った。
「そう思ってるなら一行くらいは書けよ、せめて」
「俺もそう思いますけど」
けれど、何も浮かばないのだから仕方ない。何をやっているんだとクラスメイトには呆れられそうだけれど、それも含めて僕なのだと思う。
「なんていうか、自分のこと書けって言われて書けないってことは、自分がないってことじゃないですか。それこそ適当に書き上げるってことは、多分どっか適当な人間てことだろうし。結局他人からしたら不器用に見えるんでしょうけど。馬鹿で融通の利かない、そういう人間なんです」
先生はふむ、と頷き、それからふと険しい顔つきで僕を見た。
「お前、口頭じゃなくて、それ文章にしような」
呆れたような顔で彼は言う。まったくだ、と僕は思い、苦笑しつつ肩をすくめた。
「そういう人間なんですよ」
10/01/14 もこ
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