忍者ブログ
リンク
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「お母さん」



「じゃあ、明日には引っ越されるんですか」
「ええ、いきなりでごめんなさいね」
いつもの公園のベンチで、彼女はいつもの困ったような笑ったような、どちらともつかない表情で言った。
「いえ、そんな」
私は言うべき言葉が見当たらず、ごにょごにょと語尾を濁す。
「本当はそちらのご両親にもご挨拶したかったんだけど、お忙しいみたいだし、ね」
「すみません」
私は申し訳なさに俯く。うちの両親は共働きで家には殆ど居ないし、連絡も取れないことの方が多い。
「親には、今度会った時に言っておきます」
「最後まで、迷惑かけるわね」
「迷惑だなんて、全然そんなことないですよ」
私がそういうと、ほっとしたように彼女は微笑む。私の大好きな、暖かい微笑み。生まれてこの方、まともに親と向き合ってこなかった私にとって彼女はほとんど母親みたいなものだったのだと、思い知る。
「あの、それで」私は周りを見回しながら尋ねる。「今日は?」
「あの子ね」彼女が言って私は頷く。「会いたくないって。今日会ったら泣いちゃうからって」
彼女はそう言いながら、鞄の中から一枚の手紙を渡してくる。
「ごめんね、一年も相手してくれてたのに。これだけ渡してって、言われてるの」
私はそれを受け取りながら首を振った。
「いいんです、難しい年頃なんだと思うし。私も会っちゃったら、泣いちゃいそうだから」
彼女はそうね、と頷いて寂しそうに笑った。
「住所、教えておくからまた手紙、送ってくれる? あの子、本当にあなたと別れるの、寂しいみたいだから」
「はい」
もちろん、と私は笑う。私だってあの子と別れるのは悲しい。五つも年が離れていたけれど、あの子との話はとても楽しかったから。
「じゃあこれ、私のメールアドレス。あっちに着いて落ち着いてから連絡するわね」
小さなメモを渡して、彼女はじゃあ、と立ち上がる。
「これから、明日の準備もあるから」
「はい」
私も立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「一年、ありがとうございました」
「私は何もしてないわよ」彼女はまた困ったように笑う。「私こそ、ありがとう。あなたのおかげで、ようやく娘と向き合えるようになったんだから」
彼女はすっと私の手を取る。その手が暖かくて私は泣きそうになる。彼女は優しく、ぎゅっと手を握り、微笑んだ。
私も無理矢理に、ほっぺたをつり上げて涙目で笑う。
「きっと、あなたも大丈夫よ。だからちゃんと、ご両親と話しなさい」
「上手くできるかは分からないけれど、頑張ります」
震える声で精一杯言うと、うん、と彼女は笑ってそれから私の頭を撫でた。
「いい子」
「ふえ」
結局涙が溢れる。
その言葉は、私には優しすぎるんだよ。そんなことを言われたら、もっと寂しくなってしまう。
「ええ、うえええ」
彼女はやっぱりいつもの、困っているのか笑っているのか分からない表情をして、それからお母さんみたいにぎゅっと抱きしめてくれた。
このままあの子から彼女をとってしまえたらと、少しだけ思った。
行かないでよ、お母さん。
そう言いたくてたまらなくなって、余計に涙が溢れた。
何も言えないまま、溢れた。



10/01/15  もこ
 

拍手

PR
COMMENT FORM
NAME
TITLE
COLOR
MAIL
URL
PASS
COMMENT
TRACKBACK
この記事にトラックバックする:
SS ある夜の話 HOME SS 自分のこと