「歩道橋」
かんかんと、もう随分錆びだらけの歩道橋を駆け上がっていく彼女の靴音が響く。
僕が階段の中ほどに到達したとき、彼女はすでに階段を昇り切っていた。彼女は僕を急かすように、こいこいと手を振る。まだ冬の風は冷たくて、マフラーに顔を伏せながら、僕はゆっくりと階段を昇る。彼女はそんな僕に不満そうな顔をして、それから歩道橋の反対側へと駆けていく。
僕は立ち止まり、彼女を見る。彼女の眼は今にも泣きだしそうで、僕は溜息を吐いた。彼女が言葉なく訴えるその眼が僕は苦手で、上手く付き合えないのだ。
何も言わないままでは、何も伝わらない。
分かってほしいなんて、ひどいわがままだ。
ありのままを僕は伝えて欲しいのに。
包み隠したような回りくどい言葉とか、感情の裏返しとか、そんなのどうだっていい。どんなに醜くても痛くても苦しくても卑しくても馬鹿でもいいのに。
心から泣き叫ぶような一言があれば、僕はそれでいいのに。
そんな眼をされると、僕はどうしたらいいのか分からなくなるのだ。胸がぎゅっと締め付けられるようで、泣きそうになるのだ。
僕は反対側の彼女に叫ぶ。
その言葉は歩道橋の下を通って行ったトラックの音で、辺りには響かなかった。
僕は彼女の眼を見る。
彼女は少しだけぼんやりと、僕を見つめた後で、急に顔を赤くして俯いた。きっと泣いているのだろう。一生懸命こぼれてくるものを袖で拭いながら、肩を揺らす。
たった数十メートルの距離の間を、僕は歩きだせないまま。遠くで泣きじゃくる彼女の姿を見ていた。
本当に彼女を好きなら、僕はきっとあそこまで走っていく。叫んだ言葉が本当なら、今すぐにでもきっとそうする。けれど僕は今もなお迷っている。自分の中にある感情が、恋なのかどうかも見えないまま。彼女の姿に迷っている。
空には赤く燃えるような夕焼けが、赤く錆びついた歩道橋の手すりを照らしながら浮かんでいて、風はまだ冷たいまま。
僕はずっと立ちすくんだまま、彼女が駆け寄って来るのを待っているだけだった。
10/01/25 もこ
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