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「creato」



水槽にはネオンの街を飼い、ベランダは時計の花が咲き誇る。マンションの下は晴天の空、見上げれば夜の色をした月と星が輝く。
私はぼんやりと木製の椅子に腰掛け、はあと溜息をついた。テレビの中に映っているリンゴが画面からはみ出す。
「あんまり中途半端に出ていると、食べられるよリンゴさん」
私が呟くように言うと、リンゴは慌てたように画面の中へ戻っていった。軽快な音を垂れ流すスピーカーから音符の飴が転がってくる。それを一つ拾おうとして、やめた。
あまり何かを口に入れる気分ではなかったからだ。
ふと天道虫が窓から一匹入ってくる。透明なグラスに彼はぴたりと張り付き、私はそれを見ていた。
「君の名前は?」
天道虫がそっと訊ねる。彼の声は随分間延びしていて、優しい。
「名前は知らないの」
「ああ、そうか。名無し子は今では珍しいものではないのだね」彼は少し間を空ける。「そのショートボブの髪は君に似合っているよ」
「ありがとう」
私はにこりと笑って、手を伸ばす。天道虫はそっと私の指に止まった。
「では、もう行くよ」
天道虫は言った。
「もう少しお話できたらいいのだけれど」
私の言葉に彼はありがとうと呟く。
「けれど、人の時間は虫には長すぎるから」
言って彼はまた窓の外へと飛んでいく。
「さようなら」
私の声は青い風になって、彼をまたどこかへ運ぶ追い風になる。
私は少し寂しくなって、俯き、そして立ち上がる。
彼の止まったグラスを持ち、そしてそれをそっと窓の外へと放り投げた。グラスはふわりと回りながらゆっくりと溶けていく。
私はまた溜息を吐きながら椅子に腰掛ける。テーブルの上の赤い花をぼんやりと眺め、それから水槽の中のネオンの街に視線を移す。
ベランダの時計の花がカチコチと時間を刻む。雨雲の空、隠れた月と星。
どこかで誰かが知らない名前を呼んだ。
誰も知らない、誰かの名前。


10/03/05  もこ
 

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