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「飛行機雲と秋の空」


「飛行機雲発見」
ばたばたと髪をなびかせながら、彼女は僕の前を走っていく。
「おい、上見ながら走んなよ」
「えー? 聞こえなーい」
風が強く声が届いていないのか、彼女は振り返って耳を澄ませる。
「転けるなよ!」
僕が叫ぶと彼女は、にっと笑ってまた空を見上げながら走る。危なっかしくて見ていられない。
秋の空は馬鹿みたいに青くて、それを一直線に、まるで空を割るように飛行機雲は走っている。
「ほんと、馬鹿みたいに綺麗だな」
視線を戻す。さっきまで慌ただしくはしゃいで居た彼女はぼんやりと立って、空に向かって手を挙げている。
「なにしてんの」
「へへ」
彼女は笑って、
「空高いねえ」
僕は頷いた。
「うん」
「このまま飛べちゃいそう」
「何言ってんだか」
僕が肩をすくめると、彼女は目を瞑り、そしてゆっくりと倒れていく。
「あ」
と声を上げたとき、彼女の体が強い風に乗るように、ふわりと、浮いた。何も無い空間にもたれかかるように、彼女の体が空中に浮き上がっている。
彼女は目を瞑ったまま、しばらく風にゆらゆらと揺れていた。
僕は声を出せないまま、その姿を見ていた。
強い風が吹いて、彼女の足が地面に着く。瞬間彼女の目がぱっと開き、そしていつも通りのあっけらかんとした顔で、ふうと息を吐いた。
「何変な顔してんの?」
彼女は何事もなかったかのように僕の顔を見つめる。自分が空を飛んだことに気付いていないらしい。もしくは、彼女はいつでも空を飛べるのかもしれないけれど。
僕は首を振って、
「何でも無い」
肩をすくめた。
空は相変わらず青くて、飛行機雲はいつの間にか消えていた。


10/01/08  もこ
 

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「アップルパイ」


「アップルパイが食べたいなあ」
私がぼんやりと呟くと、彼はうーんと頭を掻く。
「俺も食べたいけど」
「けど?」
「作り方、わかんないからなあ」
「そうねえ」
私は頷きながらマグの中のココアを覗く。湯気が私の顔を撫でるように消えていく。
「でも市販品て気持ちでもないよなあ」
「というか外に出るのが億劫」
窓の外は随分雪が降っていて、部屋の中も随分肌寒い。
「うーん、まあたまには私も女の子らしくお菓子作りでもしようかな」
彼は嬉しそうにおお、と声を上げた。
「でも作り方、分かるのか」
「そこはほら、アドリブでなんとか」
私が笑うと彼は少し眉を寄せて、大丈夫かなと呟いた。
「平気平気」
私は言いながら棚から小麦粉やら砂糖やらを取り出す。冷蔵庫からは卵と牛乳、バターを取り出して、ふと気付く。
「そういえばリンゴがない」
「一番大事じゃないか」
「うーん、仕方ないな」
私はぱちんと指を鳴らす。
ぽん、とクラッカーのような小気味のいい音がしてリンゴがテーブルに落ちてきた。「よし」材料があらかた揃ったところで私は頷く。「じゃあやりますか」
テーブルの上に大きめの皿を置き、ぱん、と手の平を打つと、材料が空中に浮き上がった。私はそれらを指差して腕をくるくると回す。回せば回すほどそれに合わせて材料が空中で混ざりあう。ある程度したところで私は頭の中でふっくらと焼き上がったアップルパイをイメージし、最後にもう一度手の平を打った。
ぼん、と大きな音がして煙が立つ。皿の上にぼとん、焼き立てほかほかのアップルパイが落ちてくる。
「できた!」
私は小さくガッツポーズをして、彼を見る。と、珍しく小さく口を開き、あり得ない物を見るように私を見ていた。
「なに、その目」
私が訪ねると彼はふるふると首を振り、言った。
「それは、お菓子作りじゃない、別の何かだ」


10/01/07  もこ

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「自分」



「あなたは優しくて、多分正しいと思う」
私のたどたどしい言葉を彼はいつものようにしっかりと受け止めてくれている。私は一つ一つ確認するように、考え、話す。
「だってこの社会は、誰かと生きていかないといけない。誰かに支えられないといけない。だからあなたは正しい」
うん、と彼はゆっくりと頷いた。もしかしたら、あきれながら聞いているのかもしれないけれど、私は戸惑わない。今、きちんと全てを言葉にしなくちゃ、意味がないのだ。
「だからあなたの言うことが、私にとって必要なことなのは分かる。嫌われるのは怖いし、拒まれるのは嫌だ。多分私は他の誰よりそういうことを怖がっていると思う」
今こうやって彼と向き合っているだけで、震えそうになる体が何よりの証拠だ。私は誰にも嫌われたくない。
「でも私にはあなたの言う通りにはできないみたい。私は馬鹿で、不器用だから、納得できないんだ」ぎゅっとてを握ると、長い爪が痛かった。「私はあなたのようには、できないの。私なりに考えて行動して、結局私はあなたの優しさに甘えるばっかりだった」
彼は目を逸らさなかった。逃げだしたい気持ちを私は一心に抑える。
「誰にでも合う生き方なんて、きっとない。だから、私はもう一度一人になってみる。あなたに頼ったり甘えたりしないで、自分の足で立ち、目で見て考え、声を聞き、そうやって本当に私が居てもいい場所を、自分の居場所を見つけるの」
私は一つだけ、息を吸った。
「あなたと居た時間、私は生まれて初めて孤独を感じなかった。あなたに会えてよかった」
ぎこちなく微笑み、言う。上手く笑顔になれない私が憎い。
「一年間、ありがとう。私は行きます」
私は立ち上がり、荷物を詰めたキャリーバッグを持つ。最低限の衣服や小物しか詰めていないにも関わらず、何故かとても重く感じた。しっかりとキッチンと洗面所の横を通り抜け、玄関に立つ。お気に入りのスニーカーを履き、ドアを開け、一歩踏み出す。春の生温い風が私の首筋を撫でた。
一度だけ振り向く。
未練を残さないように、彼に引き留めて欲しいと思わないように、何を言えばいいか迷っている彼に手を振って、私は扉を閉めた。
がちゃん、と呆気ない音がして、私の涙が溢れそうになった。
「さよなら」
呟いた声は、きっと私にしか届かない。それは多分決意だ。
もう彼の手も声も、頼ったりしない。私は自分の居場所を求めて、歩き出さなければいけなかった。
彼の暖かい腕の中は心地よくて、そのまま私は腐っていきそうだったから。それはきっと死んでいるのと同じだ。
私は生きている。
一人で生きているなんて思わない。親や、数少ない友人や、彼だけじゃない。誰かが頑張っているから、私は今生きている。だから私も頑張らないと。
一歩一歩自分の足で踏み締める地面は、硬くて冷たくて、けれどきちんと私を受け入れてくれているから大丈夫。
私は生きていく。
誰でもない、自分の為に、自分の両足で。



10/01/05 もこ

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「死の呪文」



「ザキ!」
「はい?」
漫画を読んでいる僕に対して、いきなり彼女は叫んだ。彼女はというと先ほどまでスーパーファミコンのコントローラーを握っていたのだが、今テレビ画面には色とりどりのドットが黒の背景に散らばっていて、どうもゲームをしている様子はない。ついでに不気味かつ耳障りな電子音がTVから鳴り響いているのは何故だ。
「なに」
僕が尋ねると、彼女は何故か不貞腐れたように答える。
「呪文」
「なんの」
「ドラクエ」
知らないよ、と僕はため息を吐いた。ゲームに縁のない人生を生きてきた僕には、ドラクエがそこそこ有名なRPGであるくらいの知識しかないのだ。
「うっそアンタドラクエしたことないの? ザキ知らないの? それでもゆとり世代なの?」
「なんだその引くわーみたいな目は」
「引くわー」
彼女はすっと身を引くように僕から遠ざかる。僕は肩をすくめて、はいはいと適当に返事をする。
「それで、なに。この画面、どうしたの」
「いきなり、ばぐった」
うう、と彼女は呻く。
「ふうん。古いゲームだし仕方ないんじゃないのか」
「やっとゲマ倒したのに、またレベル上げなきゃじゃないのよ」
「知らないよ、誰だよゲマ」
彼女は僕の疑問に答えずううう、とコントローラーを握りしめ芋虫のように丸くなった。
「あんまり引きこもってないで、たまには外出ろよ。ゲームばっかやってると体が腐るぞ」
「うっさいなあ、分かったよ」
しぶしぶ彼女はスーパーファミコンの電源を落とす。TVの画面が真っ黒に戻り、不愉快なBGMが消える。
彼女はTVの電源を落とし、タンスの中のカーディガンを羽織った。
「コンビニにでも行ってくる」
「じゃあ今週のジャンプ買ってきて」
「ザキ!」
彼女はまた僕に向かって意味不明な呪文を唱え、玄関に向かう。
「さっきから、その呪文、どういう意味なんだよ」
僕は見送りついでに、靴を履いている彼女に尋ねた。彼女はむすっとした顔で振り向いて、
「好きな相手を回復させる呪文よ」
ばたんと部屋から出ていった。
「なんだよ、好きなら好きって言えばいいのに」
なんだか僕は気恥ずかしくて、頭を掻きながら確認するように唱えた。
「ザキ」


10/01/04 もこ
 

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「星になった人」



「あなたが生まれる、何十年も前の話よ」
うん、と私は頷きながらお茶を飲む。縁側は随分暖かくて、私と婆ちゃんは二人並んで小さな桜を眺める。
「その人は、ね。とても素敵な人だった。馬鹿だったし、鈍感だったけれど」
お婆ちゃんはいつものようにはっきりとした声で喋る。もう随分歳のはずなのだが、老いを感じないその顔は私によく似ている。
「学生のときに出会って、恋をして、喧嘩もしたけれどね」
くすくすと笑うお婆ちゃんは美人だと思う。きっと昔は大層モテたのだろう。
「その人はね、パイロットになるんだーって、宇宙学校に行っちゃって、私の待っても聞かないで星になっちゃったの」
「私のおじいちゃんってことだよね」
「そう。あなたの母親が私のお腹に居るって分かったのは、もう彼はこの星に居なかった」
「それでも、お母さんを産んだの?」
「あの人が残してくれた唯一だったの。あの子が、あなたの母親が私と彼の繋がりだった。だから手放したくなかった。それくらい私は彼が好きだったの。そういう気持ち、分かるかしら」
お婆ちゃんは私の方を見て、静かに笑った。
「うん、わかるよ」
お婆ちゃんがお母さんを産んでくれたから、今私はここに居れる。それはこの大きい世界の中で本当に奇跡みたいなことだと思う。
「でも、それだけがあなたの母親を産んだ理由じゃないのよ」お婆ちゃんはお茶をゆっくりとすすった。「彼はね、出発の前に私に一つだけ約束してくれたの」
私ははてなと首をかしげ、尋ねる。
「どんな?」
「必ず私のいる場所に帰ってくるって。そのときは、おかえりなさいと言って欲しいって。だから私は彼を信じた」
遠くの空をお婆ちゃんはじっと見ていた。
「なんだか、素敵な話」
「それでね」お婆ちゃんはそっと立ち上がった。「今日、彼が帰ってくる日なの」
「え?」
私が声を上げたと同時に、すっと縁側に黒い影が落ちた。
飛行用の球体ユニットに乗った青年が、縁側にゆっくりと降り立つ。私が慌ててお婆ちゃんを見ると、彼女は優しくその青年を見て微笑んでいた。
「おかえりなさい」
お婆ちゃんが笑い、青年が言う。
「ただいま」



10/01/03 もこ
 

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